![]() | Live in Califonia 1976: On the Wings of a Russian Foxbat Deep Purple Connoisseur 1995-05-18 |
来日前の指の怪我でほとんどギターの弾けないトミー・ボーリンとバンド崩壊前の影響から来る演奏のまとまりの無さにもかかわらず発売された『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』と、日本でも絶大な人気を誇ったリッチー・ブラックモアの不在から評価の低い第4期ディープ・パープル(特にボーリン)ですが、当時『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』ではなく、このアルバムが発売されていればトミーボーリンの評価も違ったものになっていたと思います。
演奏もジョン・ロード(Key)はもちろん安定しているし、イアン・ペイス(Dr)はまさに絶頂期。ボーリンの演奏も『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』とは比較になりません。リッチー・ブラックモア時代の曲もトミー・ボーリンのスタイルで弾きこなしているため最初は違和感がありますし、ラフに流してしまっている部分が気にはなりますが、聴きこんでいくと、これはこれでなかなか良いギターを弾いています。ブラックモアじゃないと絶対駄目だ、という人以外には十分に満足できる演奏だと思います。(海賊版ですが"Wembley 1976""New York 1976"、"In Deep Grief"ではこのアルバム以上の演奏が聴けます。)
ただし、デイヴィッド・カヴァーデイル(Vo)の調子が悪いのか、グレン・ヒューズ(B,Vo)が良過ぎるのか、ヒューズの自分勝手な我侭なのか(多分コレが原因)、二人のヴォーカルが噛み合わない部分が多々あるのが残念なところです。(この頃の海賊盤を何枚か聴きましたが、いずれもカヴァーデイルは影が薄いようです。)
トミー・ボーリンはどちらかと言えばジャズ、フュージョン寄りのギタリストで、それまでのリッチー・ブラックモアとはタイプが違うためリッチー・ブラックモアのスタイルを求めていたファンにとっては評価しにくいのかもしれませんが、当時デイヴィッド・カヴァーデイルやグレン・ヒューズがやりたかったブラック・ミュージック寄りのファンキーなスタイルにはベストなギタリストだったのだと思います。トミー・ボーリンだけでなくデイヴィッド・カヴァーデイル、グレン・ヒューズにとってもディープ・パープルという名前である以上"スモーク・オン・ザ・ウォーター"はやらざるを得ない曲だったのでしょう。唯一のスタジオ盤である『カム・テイスト・ザ・バンド』も、後にジョン・ロードが語ったように、ディープ・パープルの名前でなければもっと正当な評価をされていたのかもしれません。
トミー・ボーリンのギターテクニックについてはビリー・コブハム(Ds)のアルバム『Spectrum』でのプレイやジェームス・ギャング時代(ジョー・ウォルシュの後任として参加)の『Bang』、トミー・ボーリンのソロ・アルバム『ティーザー』などを聴いてもらえば分かりますが、十分なアイディアとテクニックを持っています。ディープ・パープル解散後、ジェフ・ベックとのジョイント・ツアー中にドラッグの事故で亡くなってしまいますが、生きていれば今頃どんな音楽を聞かせてくれたかと思うと残念です。
*トミー・ボーリンのジェームス・ギャング、ディープ・パープルへの参加はソロ活動の資金稼ぎ、知名度のアップという目的が大きく、ディープ・パープルへの加入の際にも、ディープ・パープルの活動と並行してソロ・アルバムの作成、及びアルバムのプロモーションを行ってもかまわない、という条件が付けられていたようです。実際アメリカのレコード店では当時のディープ・パープルの新作『カム・テイスト・ザ・バンド』より、同時期に発表したトミー・ボーリンのソロ・アルバム『ティーザー』の方が派手に宣伝された、ということもあったようです。
*10年以上前(1990年前後)に、タイトルは忘れましたが、ドラッグで亡くなったミュージシャンの曲を集めたトリビュート・アルバムが発売されていましたが、当時人気絶頂のモトリー・クルーがトミー・ボーリンの"ティーザー"をカヴァーしていました。リーダーのニッキー・シックスがトミー・ボーリンのファンだったということでしたが、日本での評価に比べてアメリカではトミー・ボーリンの人気は高かったということが窺えます。
![]() | This Time Around: Live in Tokyo '75 Deep Purple Purple 2001-09-11 |










